Ryoji 1/20/99
さて、最初に何を書こうかなと考えたのですが、訪米当初の異文化に触れた感受性も、一年をすぎると鈍ってきます。あれにしようかこれにしようか悩んでいたときに、ちょうど今日のお昼をインド料理のお店で食べた時に、ちょっとCaliforniaの多国籍ぶりを書いてみようかと、思いつきました。もちろん、カリフォルニアは非常に広い州なので、全地域が当てはまるわけではもちろん、ありません。
米国は人種のるつぼとよく、昔の社会科の教科書には書いてありました。それの最も顕著なのがCaliforniaで、黒人人口は比較的少ないので実はそれが米国の他の地域に住んだ人からすると意外なのだそうですが、東洋人やヒスパニック系の比率は非常に高く、驚きます。大学などは世界各国からの留学生も多いので学校によっては、米国人は半数を大きく下回っているケースもあるそうです。カリフォルニアでは英語を話す人よりも、スペイン語を話す人の方が多いのではないかという人もいます。
人種のるつぼというと、私はいろいろな人種の人が融合して生活している様を少し想像していたのですが、それとは少し様子が違います。もちろん、そういう部分もあるのですが、複数の文化、人種がそれぞれ個別の領域というか、文化圏、生活圏を形成して、混在しているという印象を持ちます。
もちろん、公共の場所、レストラン、会社などで、様々な人が生きているわけですが、ある意味では住んでいる地理的な距離だけ近く、国境という目に見える境界もないのですが、厳然として閾が存在する感じかもしれません。
そういう中で、公共機関や銀行などの企業も当然ながら、多国語対応が当たり前です。銀行のATMでは最初にまず、言葉は何にするかを選択できます。英語、スペイン語、中国語などなど。電話での応対もそうですし、大体電話会社、銀行、クレジットカードのコールセンターでは、各国語対応、もしくは、母国語を英語としない人向けの番号も用意されています。
公共機関系では米国では必ず行くDMVといいう車の免許をとるところの場合、カリフォルニアでは、日本語でも試験が受けられます。実地試験に、日本語ができる試験官とはいきませんが。
ファーストフードはさすがに英語が基本ですが、厨房で働いている人はヒスパニック系の人の場合が多く、オーダーを英語で受けて、それをスペイン語に直して厨房に伝えていたりもします。
そういうカリフォルニアで助かるのが食事です。アメリカン、メキシカンから、フレンチ、イタリアンはもちろん、チャイニーズ、日本食の店も溢れています。タイ、インド、ベトナム料理の店も決して少なくありません。特にインド料理の店は日本人の口にも合うし、外れはすくないと思います。
普通のスーパーでも、日本や中華の食材が手に入りますし、醤油なども当たり前のように置いてあります。さらに、中華マーケットに行けば、日本や東洋系の食材、調味料などとともに、魚も豊富です。
そういう中で、東洋の食材、調味料、調理法をフレンチに取り入れたCalifornianという、カリフォルニア料理のお店が結構あります。少し違うのかもしれませんが、無国籍料理に近いものです。これがまた有名なお店やシェフがたくさんで、なかなかなのです。マグロとかをタタキ風に半生にして、少し和風の感じを出したソースなどで食べるとかも結構私の好みのものです。
カリフォルニアに多国籍な人が集まるのにはなんででしょうか。もっとも、多いヒスパニック系の人はメキシコなどの中南米からこちらはどちらかというと、労働者として入ってきます。たとえばファーストフード、清掃関連、また、Napaのワイン農場の摘み取りの仕事などなど...
確認したわけではないですが、Napaの農場などでは、日本でいう不法労働者がいないと、仕事が回らないという話もあるそうです。
もう一つ忘れてはいけないのが、ハイテク産業。世界中から技術やアイデアに自信があり、ひとはな咲かせようという人々が集まってきます。特にインド人、中国系の人をはじめとする東洋系の人の数には目を見張ります。確かに、ここで仕事を見つけられれば、母国では到底手に入れられないような大金をつかむことができます。また、ここ米国で技術やコネを付けて、母国で事業を起こすという野心家もいます。
私がとある会議でいっしょになった中国系の人は、IBMに勤務している人でしたが、会議中非常に熱心に質問をするし、また、各講演が終わるたびに講演者のところにいって、しきりに話しかけます。私と同じくらいの年だったので、少し仲良くなって話しをすると、中国に帰ってインターネット電話の事業を起こすつもりだとのこと。現在、IBMでしている仕事はインターネット関連とはいえ、別の仕事だと思うのですが、休暇中に自費でそのワークショップに出て情報収集をしていました。
その中でもひときわソフト産業などで目立つのがインド人です。インド本国も最近ではソフトの開発拠点の一つとしてとてもメジャーですが、シリコンバレーにいるインド人の数もものすごい。私が以前住んでいたアパートでは、半分程度はインド人の方がいたように思います。
そもそも、マーケティングやセールスは別として、こちらの会社の開発系の仕事をしているプロダクトマネージャークラス以下の人とミーティングをすると、大抵はなぜかインド人が出てきます。そういう意味では、インド人に制覇されているともいえる状況です。シリコンバレーのこの興隆を見ると、ひょっとしてインド人は人種的に頭がよいのが最大の要因かとさえ、思ってしまいます。
これはまた難しい話ですが、米国に来て働く多数の労働者はある意味ではひどい目にあっています。不法労働はもちろん、VISAを支給されて来ている人も、VISAを切られては困るので、みな必死に働きます。
そういう状況をある意味では搾取と見る人も多いのではないでしょうか。実際、米国の繁栄はそういう搾取の上に成り立っているという人も多いのは事実です。
しかし、逆に言うと給与の高く、チャンスのあるところに、多国の人が集まってくるのは当然のことでもあり、少なくともそれに対してある程度門戸を開放していることだけでもすごいのかもしれません。
こんな感じの多国籍ぶりをみせるカリフォルニアのことを、東海岸などのもともとの伝統的なアメリカ人は、「カリフォルニアはアメリカじゃない」という風にも言います。東海岸に住んでいたことのある私の友人も、たとえばハローウィン、サンクスギビング、クリスマスなどをカリフォルニアで見ても、全然アメリカじゃないと嘆きます。
そういう意味では、世界的にみても非常にまれな状況を作っているのは間違いなさそうです。
さて、こういうカリフォルニアの状況を見てきて、私が思い出す本が一つあります。今はなぜか国会議員をしていますが、栗本慎一郎が書いた本です。ちょっと名前は思い出せませんが、都市論に関する本で、何冊か関連する本が出ていたと思います。
その本では、どういうことを言っているかというと、都市の重要な機能の一つとして文明をになうという部分があるが、いわゆる地方の既存の枠組みの中ではなかなか生きられない、もしくは生きにくい、先進的な人々がはじき出されるようにして、場合によっては世界中から出てきて、都市に集まり、影響を与えあって、そこで、文明を発展させるような仕事をしていくということでした。20世紀前半だと、それに該当するような都市がたとえばブタペストであったということで、栗本慎一郎の本はブタペストについて随分詳しく書いてあったかと思います。
私が「多国籍カリフォルニア」について書こうと思った点の一つはその点に興味をひかれたからで、そういう都市の役割をひょっとすると現在のカリフォルニアがある意味でになっているのかなと思ったのです。そういう感じがする限りは、ここカリフォルニアで、文化、技術、文明の発展する土台になっていくのでしょう。
また、栗本慎一郎の本では、都市には、表の顔と裏の顔があり、そこが表裏一体となって都市を形成しているという点についても、言及されています。カリフォルニアの裏と表、光の部分と闇の部分、サイバーワールドの光の部分と闇のについては私はまだ完全にぴんと、しっくり来るものがありません。
が、感覚的には、インターネットをはじめとするサイバーワールドとの世界に引き継がれて行く部分もあるのかなと、気になります。また、それについては別途かいていきたいと思います。
今日はこの辺で。